東京文化学園:浅間高原寮

浅間エンブレム 沿 革

 昭和38(1963)年、卒業生の好意により長野県浅間山南麓裾野に4,000余坪(約13,300平方m)の土地を購入することが出来たので同年11月より土地の造成を開始し、東大農学部第二造園研究室の指導により、庭園、果樹園、テニスコート、バレーコート、総合運動場などを造成した。購入した土地が海抜900mの高原であり、浅間山(2,500m)の南斜面の裾野であるため、施設の名称は「浅間高原寮」とし、昭和39(1964)年4月から宿泊施設の建築工事を開始した。第一期工事は86坪(約284平方m)の本館と12坪(約40平方m)の浴場、そして管理人住宅で、落成式は昭和39(1964)年7月22日午後2時新装なった本館食堂で行われた。
 浅間高原寮は、その宿泊施設を完備するため、昭和42(1967)年6月に新宿舎を増築した。この建物の建築費は故森本静子前学園長の学園の寄付金を基金としたのでその遺徳を偲び「静荘(しずかそう)」と呼称することにした。
 新館(「南館」)の建築は後援会の事業として昭和45(1970)年12月に着工し、同月12日に上棟式をあげた。約71坪(約235平方m)の宿泊専用建物で、本館の南側に建てられた。
 昭和58(1983)年には20周年を記念して、本館・静荘などの増改築、寮内の整備事業を行い、その設備は一層充実したものとなっている。


浅間高原寮

所在地:
長野県北佐久郡御代田町塩野
敷 地:
15,382.99平方m
収容人員:
150名

(東京文化学園50年史:1978より)

浅間高原寮(油彩)/黒澤信男 1960年代(学園所蔵)
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 その後、昭和59(1984)年春に旧管理人住宅の跡地に新管理棟として「けやき荘」、昭和61(1986)年春には南館を増築、“われもこう”、“りんどう”と名付けた二室の大広間が加わった。

 「けやき荘」は、2階建、1階部分108.48平方m、宿泊室六畳3室、八畳1室、トイレ2カ所、キッチン、体育倉庫、ラウンジ。2階部分は64.17平方m、十畳2室となっている。

 「南館」の増築部分は、280.26平方m、全体では、511.97平方m、大広間は連結使用可能な四十畳が2室であり、雨天時のリクリエーション・プログラム等にも利用価値が高い。

 また、平成2(1990)年、「本館」に管理者用の部屋として2階部分を増築している。


浅間高原寮は、浅間山頂、軽井沢町、佐久市、小諸市の4点に囲まれ、ちょうどその真中に位置している。
海抜880〜900m、信越線に並行して走る国道18号線から直線距離で約500m、国道の「桜ヶ丘」バス停から1kmほど登ったところである。

浅間への道


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