-2- 第252号  TokyuBunka Times  昭和52年10月11日

短期大学

東京文化学園教育遺産(1)

働く頭と親心の意義

短大教授 神辺 靖光

 学園の創立五十周年を迎えて祝事だけでなく創立者や学園の教育を築いてきた先達の跡を尋ね、その業績を深く噛みしめたいと思う

 

“働く頭”の実践

 三H精神と学園が呼んでいる「働く頭、勤しむ双手、寛き心」というモットーは昭和三年春、学園が女子経済専門学校として発足しに時に創作した校歌にうたわれたものである。作詞者は北大で森本厚吉先生の教えを受けた山田武彦氏。森本先生の意をくんで歌詞の中に「働く頭、勤しむ双手、寛き心」をうたい込んだ。
 知識の詰め込みばかりでなく、心(情緒)と頭(知識)と手(技術)と体(健康)の人間の持つ全能力を一つも欠けることなく調和的に発達させなければならいという主張は一七、八世紀から優れた思想家によって唱導され、近代教育思想として人々に理解されていたものである。それにもかかわらず、当時の日本では知識ばかりの詰め込み教育が巾をきかせていた。また知識を得るにしても詰め込み式でなく、生徒自身に考えさせるという開発教育や新教育と呼ばれた新しい教育方法も進歩的な教育家によって実践されていた。しかし受験勉強の激化がそうした新教育の発展をはばんでいたのであった。
 学園が三H精禅を掲げて開校したのは、こうした時期であった。
「働く頭、勤しむ双手、寛き心」という学園のモットーは人間の調和的発達という近代教育精神と、自らによる開発という近代教育方法を合わせてうたい上げたものであった。

新嘗祭(勤労感謝の日)で生徒に話される故森本厚吉先生:昭和15年

 創立者の森本厚吉先生はただこれをお題目に唱えたのではなく、それを実践した。当時は大学と幼稚園を除くすべての学校に「修身」という道徳科目があった。「修身」は明治二三年に発布された教育勅語の綱目によって構成されていたわが学園は専門学校であったから「修身」はやらなければならない。
しかし森本厚吉先生はこれを「実践倫理」と称して生徒自ら調べてきたことを毎時間、交替に話をさせ、それを話題に授業を展開した。
また消費経済学では五銭玉とか五十銭玉の研究と称して、その金が、どれだけの効力を生むか実際に生徒に体験させる方法をとった。万事がこのやり方で教え込むのではなく生徒に考えさせ自ら開発させた。森本校長のこの方針は専門学校、附属高等女学校の各科に及び英語かぞえ唄、単語競争、計算競争、縫いとり競争等、活気に満ちた学習になった。森本校長はこれを「学問の遊戯化」と称して大いに奨赦した。本学の故沼畑金四郎先生によってつくり上げられた「生活の科学」や小田喜貞三先生によって編集された「いずみ」(生徒の作文集であるが、その内容の充実していること、学校文学誌と言える。)等は「働く頭」の成果と言えよう。

 

「親心」の教育的意義

 昭和六年四月、経専附属高等女学校が開校した時、新渡戸稲造校長は「教職員心得」を制定し、教職員にサインを求めた。その第一条に「人の子を預る以上は親心を以てこれに対すること」とある。私は長い間、この意味をありきたりに解釈し、この言葉の持つ重い意義に気づかなかった。昭和六年当時の学校の綱領にこうしたものは殆んどない。当時、教育は国家目的に即したものでなければ認められなかった。大学令の第一条には「大学ハ国家二須要ナル学術ヲ教授シ」とあり、以下、日本の学校は国家の定めた教育に徽することが要求されたのであった。教育の権利は国家が握り、親は子供に小学教育を受けさせる義務はあったが教育の権利は認められていなかった。昭和六年(満州事変、所謂日中一五年戦争の開始)以後になると我が子が戦死しても「軍国の母」は涙を見せないという形式主義がまかり通るようになる。このように生活も教育も国家の至上命令で動いている時、「親心」を教育綱領の最初にうたったのは如何にも暖かい人間の教育が感ぜられる。
 新渡戸先生は国家に対する反抗者ではない。明治に育成された誰ものように愛国者であり、政府の協力者であった。しかしそれはあくまで協力であって国家命令の遵奉者ではなかった。常に人間、国民、市民の立場で発言し、その範領内で国家に協力していたのである。新渡戸先生の本校における最後の講演は「後光で輝く経専生徒であれ」というものである。これは先生が若い頃から一貫した発言で一人の人間の無上の価値を言っている。たとえ軍国時代に役に立たないと思われる虚弱児でも独自の光を放つものであると言うことを先生独特のユーモアで後光がさすと言ったのである。

 第二次世界大戦後は教育の目的は個人の価値に求められ、親の教育権も主張されている。しかし、そうでなかった時代にこれを教育綱領の首位におき、国家の圧力が人間を押しっぶそうとしている時に人間の教育を唱えて動かなかった新渡戸先生を想わねばならない。
 教育のモットーは伝統だ、伝統だと騒いで年中唱えているとかえって風牝してしまう。創立者の言葉の受け売りは継承者の思想の貧困を暴露するようで恥ずかしいが、時にはそれを唱えた時代をふり返り、唱えた人の真意を噛みしめてみたいものである。


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