-1- 第340号  TokyuBunka Times  平成13年7月2日

新渡戸基金維持会が発足

森本理事長がスピーチ

森本理事長  さる五月三十一日、港区の国際文化会館で財団法人新渡戸基金維持会・設立披露の会が約七十人の参加者を得て開催されました。
 この維持会は、財団法人新渡戸基金(盛岡市)が基金を増やすために全国的に維持会を組織し、法人は五万円、個人は三千円を一口として、基金を募り、新渡戸稲造先生の功績を顕彰しようというものです。


 新渡戸基金の大堀勉理事長の挨拶、内川永一朗事務局長の経過報告の後、東京女子大学の船本弘毅学長の講話「新渡戸稲造先生に学ぶ」がありました。新渡戸先生が東京女子大学の学長となった大正期のお話でしたが、本学園の初期にあった話と共通することが多いものでした。
 あとの懇談では、新渡戸先生が学監をされた拓殖大学の小田村四郎総長、最後の校長となった東京文化学園(当時は、女子経済専門学校)の森本晴生理事長(短大学長)などのスピーチがありました。森本理事長は、新渡戸先生が東京文化学園の学生生徒から慕われ、英語のテストの前には先生の銅像をさわりに行く者もいること、十月十六日のご命日の頃に東京文化学園で講演会を開くように準備していることなどのスピーチがあり、大きな拍手を受けました。
 新渡戸先生の令孫である加藤武子さんは、祖父(新渡戸先生)は「お昼寝の時間」があったが、実際には「祈りの時間」であったらしい、と当時を思い出しながらお話がありました。
 この会には、盛岡市から先人記念館、岩手日報、盛岡タイムス、新渡戸稲造会、新渡戸セミナーハウスの関係者、東京からは前記の学校の他、新渡戸先生に関係のある学校、病院などから、さらに全国の新渡戸稲造研究者が集まり意見の交換をしました。

新役員を迎えて

理事長 森本晴生

 学園では村松一郎学務理事(短大学長)が三月で辞任されたので、短大学長は森本晴生理事長が兼務することとし、小林弘志氏(前中学高等学校校長)を学務理事に、矢部邦男氏を常務理事に、篠崎紘之氏、升野龍男氏、服部津貴子氏を理事に迎え、新たな歩みを始めることになりました。
 新渡戸稲造先生と森本厚吉先生に始まる学園の精神を、今の社会に生かすために、教育研究を進めてまいります。皆さまのご支援をお願いいたします。

(人事は三面を参照)

矢部常務理事

「今こそ3Hを」

常務理事 矢部 邦男

 この度ご縁があって、当校の常務理事に就任いたしました。創立者森本博士や初代校長新渡戸稲造博士をはじめ、当時の第一級の知識人・国際人達によってこの学校が創立された事を知り、その歴史と伝統の重みを改めて感じています。学園の理念として掲げられた3H(活く頭、寛き心、勤しむ双手)の精神は今に生きる立派な理念であり、今の日本に最も欠けている点ではないかと思います。教育の最高の目標は「人格の涵養」にあるという事を、これ程適切・簡潔に表した表現はないのではないか。私も皆さんと一緒に、この理念を誇りとして、その実践の為に微力を尽くす積もりです。
 私は大学卒業後の四十年間、日本経済の山や谷の激しい時代を、製鉄会社の一員として、主に財務や海外プロジェクトの仕事で過ごして来ましたが、そんな民間企業での経験が、これから大変厳しい時代を迎えようとしている学校経営に少しでも活かせれば望外の幸せです。宜しくお願いします。


小林学務理事

思いは、ふいごの役に

学務理事 小林 弘志

 いま、学園が問われているものは何、と我が身に間いかけた時、その答えは、原点回帰の中に求めることができると思います。
 学園の母胎は、大正末期の“文化普及会”でした。
 作家の有島武郎、思想家吉野作造博士と創立者森本厚吉博士の三人は我が国の教育・文化の向上発展を願って、文化生活普及運動を全国現模で展開したのでした。その担い手の育成に学園を創設したことを思うと、新しい時代を開く発信型の学園としてスタートしてしているのです。学園の先達者たちはそ使命を果たす努力を重ねたのでした。
 いま、21世紀になって、学園は意義ある新たな発信をなすことが問われていると思います。創設以来の高い志をもって夢を育てる学園、文化という豊かな心を育てる学園として光を放つ存在になることを願うばかりです。
 縁あるご子女の皆さんがさらに満足のいく学園生活になるよう獅子奮闘の努力を重ねてまいります。いい風が送れる、ふいご(送風機)の役を果たす一人になれたらと願っています。


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