新渡戸稲造 その(4)
「夢に姿を与える行為」
学務理事 升野 龍男
「夢こそ来るべき時代のさきがけである。進歩はすべて一連の夢である。ひとつの夢が実現すれば、それは文明発展の一時期を画するのである。偉大なる夢想家が見た夢で、無駄だった夢はない。偉大な夢で、それに姿を与える実際的天才が見つからなかったものはない」。以上は、新渡戸稲造博士が世を去る五ヶ月前の文章である。博士は次代を引き継ぐ若人達に、この文章でもって「夢のバトンタッチ」をしたのであろう。
現在私は、慶應、熊本、文教という三つの大学で講義を受け持っているが、毎年決まってある時期から学生達がグングンと成長し始めるのを目の当たりにする。それは、次の二つのアドバイスを行った直後からだ。「“明確な目標=夢”を持って情報を採りに行きなさい」、「好きなことそのままにしないこと。“好きを得手に変える努力”をすること」。これから分かることは、人間誰でも目標を定めた瞬間、もの凄い勢いでアクセルを踏み出すということだ。「人生に夢があるのではなく、夢が人生を作る」。「未来は予測するものではなく、創り出すものである」。行動指針となる考え方を身に付けた途端、若者達は弾けるように、育ってゆく。
夢を夢で終わらさないために、実学が要る。東京文化学園が掲げるHead・Hands・Heartの3H精神の中の次のふたつのH、「勤しむ双手」「活く頭」はそれを指摘している。博士が折に触れて語った「学問も大切だが、まず実行」、「目前の義務を果たす」は、やはり「夢に姿を与える行為」に必要不可欠な行動指針である。
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