新渡戸稲造 その(7)
キャラメルおじさん
常務理事 升野 龍男
晩年の頃、私は国内外で国内でもかなりの著名人になっていた。でも、子供達の多くは新渡戸稲造がどんな人物であるか、知らない。それは現代の中学生、高校生、大学生でも同じではないだろうか。「武士道」を書いた人物、前の5000円札の肖像といっても、多くの若者達は私の名を思い浮かべないだろう。また私は大の子供好きである。しかしながら子供の方が私を好いてくれるとは限らない。
だからコミュニケーションが大切なのだ。そこで近所の子供たちと仲良しになるためにね、私はいつもポケットにキャラメルを忍ばせていたよ。それが心の橋渡しとなってくれた。だから私は“キャラメルおじさん”と呼ばれていたのだよ。
嬉しいね。しゃがんで、同じ目線で会話しないと通じないんだね。人はその威厳で慕われることはない。また、その高名さで親しみやすさを得られることもないもないのだよ。そういう視点で新渡戸祭のスローガンを見ると、私の考え方を後輩達はしっかりと受け継いでくれていると思う。「われ太平洋の架け橋とならん」は「新たに渡る戸を開け!」と現代的に翻訳し直してくれた。また夢の大切さを指摘した次の言葉「夢こそ来るべき時代のさきがけである」の言い換えは傑作だ。
新渡戸の前に夢を付けたとはね。つまり「夢新渡戸=夢に飛べ」としてくれたんだ。そう、この学園は「大きな夢を育てる小さな学園」。“新たに渡る戸を開き”、“夢新渡戸=夢に飛べ”学園なんだ。私の名前を学園名にしてくれたことも感激的だが、それ以上に私の想いをしっかりと引き継いでくれていることの方が嬉しいよ。
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