-6- 第360号 TokyuBunka Times 平成20年3月11日

2008年4月から、学校法人 東京文化学園は学校法人 新渡戸文化学園に変ります。


ルネッサンス80プロジェクト
小学校

「五十五期生卒業にあたって」

小学校 六年担任 岸下健一

給食室手作りのお弁当をかこんで  「どの子も我が子、どの先生も私の先生」とうたわれる東京文化小学校は、創立当初から一学年一学級の小さな学校として貫かれてきました。昭和二十三年四月十六日、第一回入学式での森本厚吉先生のメッセージから、戦後にどのような思いで小学校をお建てになったのか、なぜ、小規模校なのかを知ることができます。

 「東京経専小学校(後に東京文化小学校に改名)には、何の伝統も束縛もありません。だから極く自由な気持ちで、真理の示す愛の教育を行いうることは、誠に喜ばしいことであります。従って旧式の学校でのように、おどしたり、叱ったりして知識を無理におしこむのではなく、児童が持って生まれた魂を大切に護り、それぞれのもつ才能を充分にひき伸ばすのが本校教育の目標であります。こうした「自由教育」を施すには、本校のように児童の数を充分に制限する小さな学校では実行でき、将来に大きな期待をもつことができるのであります。」
(東京文化学園五十年史より)

▲グラウンドにて

 キリスト教の愛の教育によって個性を尊重する「自由教育」を実現するために、小さな学校という条件があります。
 さて、今年東京文化小学校を卒業する五十五期生と私は、五・六年生を担任するだけではなく、一・二年生のときにも副担任をする機会に恵まれました。校訓に倣って全校児童が「我が子」ではあるのですが、やはり私にとって五十五期生は特別な存在です。
 卒業アルバム用に写真を選んでいても、一年生のころから変わらない笑顔や、見違えるほどに成長した子ども達の様子に一枚一枚手が止まり、思うように作業がはかどりません。そして、面白いことに、カメラを向けられてワイワイと大勢がにじり寄ってくる瞬間が、六年前と今と全く同じなのです。
 「児童が持って生まれた魂」をそのままに六年間護ることができた、そのように実感し、五十五期生一人ひとりの素晴らしさと出会えたことに心から感謝をしています。

こども こども

「ひだまり」


小学校長・幼稚園長 福田景三郎



 よく晴れていて東京では珍しいほどの青い空でした。中庭に台形の日だまりができました。その中で、おいかけっこが、おにごっこが、ドッジボールが、おしゃべりがあちこちでいりまじっています。大きな笑い声、小さな笑顔がたくさん、たくさん窓にぶつかったり、はねかえったりしてみんなを包んでいます。フラフープがくるくる回る間を一輪車がすうーと横切ります。全面素通しの校長室からは、何でも、どこでも良く見えます。ということは、子どもたちからも僕はいつも丸見え。居眠りなどすぐ発見されてしまいます。
 二人の子どもがよろよろと近づいて来ました。4年生のともみちゃんが、おっかなびっくり真剣顔の1年生さんの竹馬を前からそおっと、ぎゅうっと持っていました。
「そう、そう上手よ。左足を持ち上げる時、左手も持ち上げるの。」
「下を見るより前を向いたほうが乗りやすいわ。」
「そうよ、そうよ。すごい!うまいわよ。」
 よろよろが、少ししっかりしてきました。やっと僕の窓の所に着きました。
「フー。」
「上手だよ。これならすぐ一人で乗れるようになるよ。ともみちゃん、教えるの上手だね。えらいなあ。すごいなあ。」
 4年生のともみちゃんは、いつものやわらかい、やさしいお顔で言いました。
「私、あまり上手じゃないけれど、同じ名前だから…」
「あー、そうか。二人とも、『ともみちゃん』だもんね。」
 チャイムが鳴りました。4年生さんが竹馬を持って二人一緒に校舎へ入って行きました。
 そこは、日陰の三角形になっていました。


次へ次頁へ
戻るタイムス目次へ戻る

戻る東京文化短期大学資料室へ戻る

戻る 東京文化学園ホームページへ戻る

Copyright (C) 2008 TOKYO BUNKA GAKUEN