東京文化小学校60周年
小羊会(同窓会小学校部会)総会で浅田次郎氏が講演
東京文化小学校第11期卒業生浅田次郎氏を迎えての講演会。
平成19年10月6日(土)、東京文化小学校の講堂で小羊会(同窓会小学校部会)総会が開かれました。
はじめに、小羊会会長の森本光生氏(第一期生)の挨拶で、小学校創立の頃の話がありました。
続いて、第11期の卒業生である浅田次郎氏から、「私と東京文化小学校」という題で1時間半の講演をいただきました。講演は次のような内容でした。
3,4年前に、台湾の李登輝・元総統と時間ほどの対談をしました。そのとき「新渡戸先生の曾孫弟子の浅田です。」と自己紹介をしたら、李登輝さんはとても驚いていた。新渡戸先生の弟子が森本厚吉先生(小学校の創立者、初代校長)、その弟子が鈴木光雄先生(二代目の校長)、その弟子が私だから「新渡戸先生の曾孫弟子」というわけです。李登輝さんは新渡戸先生を尊敬し、「武士道」の解説書(「武士道解題」)を日本語で書きました。私よりも日本語がお上手でした。彼は日本語で教育を受けています。あの世代の人は家庭では日本語を話しているようです。
台湾では新渡戸先生は日本でよりも有名で、日清戦争後に日本の植民地になり、台湾の人は日本人になりました。年齢のいっている人は日本語を話します。新渡戸先生は台湾にサトウキビを持ち込んで製糖業を興したので、台湾の恩人と言われています。
新渡戸先生は、本職は農学者で、そのほかに教育者、外交官でもあります。明治の偉い人は3つぐらいの仕事をしました。森鴎外は、野戦医学の専門家で、文筆家で、軍医総監でした。
しかし、少しできる人は同時にいくつものことをしようとしますが、一つのことに集中した方がいい。普通の人が一つのことに何年も集中しているのに比べると、できる人がいくつものことをしていた結果では、負けます。
新渡戸先生の五千円札がなくなって残念ですが、樋口一葉になったら見かけなくなりました。二千円札はもっと見かけません。二千円はちょうど使いやすい金額です。20ドル札、20ユーロ札は使いやすいので、日本でも二千円札が出回るようになると、消費が上向いて景気が良くなるだろうと思います。皆で銀行に行って両替して、使いませんか。
私が昭和33年に入学したときの校舎は、ここ(杉並区)ではなく、本部校舎(中野区)の正門を入った左側でした。オリンピックの年に卒業しました。あの頃、青梅街道には都電が走り、なぜか牛や馬も通っていました。小学校ではあらゆる宗教に接しました。自宅は浄土真宗と神道でしたが、小学校に来るとキリスト教を教わり、小学生としてはだいぶ混乱しました。
小学生の時に鈴木先生から「君は小説家にでもなればよい」と言われたことを明確に覚えています。結局40歳で物書きになりました。
小学校の黒板の上に新渡戸先生の写真が飾ってありました。一,二年のころは、話を聞いても読み方が分からず、「みそべ」「みとべ」などと思っていました。やがて、「にとべ」と読めるようになりました。
「武士道」を読んで、「義理とは義務である」という文に出会いましたが、卒業後ずっとたってから、義母を病院に連れて行くときにこの文の意味が分かりました。
このような講演のあと、記念写真を全員で撮影を行い、中庭で懇談のひとときを持ちました。
浅田次郎(あさだ じろう)
- 1951年
- 東京に生まれる(12月13日)
- 1958年
- 東京文化小学校 入学
- 1964年
- 駒場東邦中学校 入学
- 1970年
- 中央大学付属杉並高等学校 卒業
- 1971年
- 自衛隊へ入隊
- 1991年
- 単行本デビュー(『とられてたまるか!』)
- 1995年
- 『地下鉄に乗って』第16回吉川英治文学新人賞受賞
- 1997年
- 『鉄道員』第117回直木賞受賞
- 2000年
- 『壬生義士伝』第13回柴田錬三郎賞受賞
- 2006年
- 『お腹召しませ』第1回中央公論文芸賞と第10回司馬遼太郎賞
- 『蒼穹の昴』、『プリズンホテル』、エッセイなど著作多数
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