産む文化 6 東京文化短期大学紀要 第12号(1994)

現代女性の出産観:会陰切開への適応

大出春江
Harue OHDE
Culture of Childbirth 6 --How Women Adapt Themselves to Episiotomy?


  1. はじめに

  2. 分析対象とする資料

  3. 資料としてのコメント集の性格

  4. 「コメント集」の分析


  5. 結び
▼資料


1. はじめに

 出産は病気ではなく、正常な生理現象だと一般的にはいわれる。にもかかわらず今日の病院出産には様々な医療介入が行われている。そのうちの一つに、本稿でとりあげる会陰切開がある。会陰切開とは分娩第2期に膣口から肛門に向かってハサミで会陰部を切る産科手術のことである。
 出産が99%以上病院で行われるようになった今日において、初産婦に対する会陰切開はほぼルーティン化している。出産に伴う身体の一部の切開という事態を現代の女性たちは、どう受け入れ納得しているのだろうか。身体の切開とは、言い換えれば「傷のない身体の損失」ということだ。本稿では産む側がこの損失をどのように受け入れ、それに適応しているのかという視点から、会陰切開を考察してみたい。そのために、ここで用いる資料について次に述べておく。

2. 分析対象とする資料

 資料は自然なお産を考える会「ぐるーぷ・きりん」(以下、「きりん」)が1993年夏期に行った調査結果のうち、アンケート回答者が各質問項目に言及したかたちで自由に記述したものを対象としている。なぜこの資料を用いるのかは後に触れることとし、まず調査の主体である「きりん」について簡単に説明しておく。この会は6名の若い母親たちが育児サークルを母体として1993年6月、茨城県稲敷郡江戸崎町に自然なお産を考えることを目的としてグループを結成したものである。
 「きりん」によるこのアンケート調査は全国の出産経験者493名を対象としたもので、日本助産婦会が主催する平成5年度第2回厚生省委託助産婦業務指導者講習会において産む立場からの発言をして欲しいという要請が直接の契機となって実施されたものである。その成果は『報告集 ここからはじまる』(以下、報告集)『493人が答える出産に関するアンケート コメント集』(以下、コメント集)『助産婦さんをもっと知りたい!』の3冊にまとめられている。このアンケート調査について、「きりん」は「さまざまな出産体験について、特に私たちにとって興味の深い事柄に関して、産む側の率直な意見を集めることを目的としたもの」だと述べている。「アンケートには、・・・自己の出産体験を通して考えたことや疑問などを、率直に書き綴って“趣意書”として添付」し、「友人知人をはじめ雑誌などで知った全国の育児サークルに、総数770通を配布し、・・・493通」を回収(回収率64%)。
 回収されたアンケート結果とは別に「寄せられたアンケートの余白にびっしりと書き込まれてきたものをひとつ残らず取り上げたもの」がコメント集である。本稿で分析対象とするのはこのコメント集である。

3. 資料としてのコメント集の性格

 前述したように、現代の女性の出産体験とそれに対する理解は、「きりん」によるアンケート調査によって量的には把握されている。ここでわたしが分析の対象とするコメント集は、アンケートへの回答だけでは伝えきれなかった女性たちの個々の出産体験に即した考えや思いの表出である。それらは極めて個別具体的で、リアリティに富んでいる。講習会に出席していたある助産婦は「コメント集を本にしてほしい」と述べているが、このことは産む側の声が率直に語られていることをよく示している。
 ところが、このコメント集は女性たちの生の声そのものであるために、「会陰切開」を始めとする各質問項目に多様な理解を示すばかりでなく、時には全く正反対の見解も示すことになる。コメント集のおもしろさは、調査者側の調査意図への共感も反論もともに(編集されていないので)並列的に提示され、読み手には紙上討論をしているかのように見えるこの点にある。これは出産の専門家ではない普通の女性たちが、同じ出産体験をもつ女性たちに対して行った調査であったことがもたらした成果だと言えるだろう。
 本稿では、これらのコメント群の一つである会陰切開をとり上げ、コメントの具体性と多様性を生かしつつ、それらを会陰切開認識を構成する柱という形に組み直すことにより、これを考察しようとするものである。このことは次のような意義をもつだろう。それは従来、出産についての体験者の声は、医療者側からは「被害者意識」として一括されることが少なくなかった。しかし、そうした一括の仕方では出産をめぐる医療者と妊産婦側との相互作用の内容は少しも明らかにされないばかりか、硬直したものになってしまうだろう。産む側の会陰切開に対する満足や不満足あるいは了解や疑問は、どのような条件が作用したときに生まれてくるのか、あるいは強くなったり弱くなったりするのか。これらの諸条件が明らかにされることは、両者の相互作用をより円滑にしていくための重要な足がかりになるはずである。

4. 「コメント集」の分析

1)習慣化された会陰切開

 ここで資料とした会陰切開に関するコメントに入っていく前に、会陰切開そのものの基本的な理解をしておくことにしよう。
 今日の日本では病院出産がほとんどを占めることは知られているが、その病院における出産の場合、子どもが産まれるまでに剃毛、浣腸、陣痛促進剤の使用、分娩監視装置の腹部装着の他に会陰切開(およびその縫合)、そのための局部麻酔がルーティンとして行われるのが一般的であることは、あまり知られていない。
 会陰切開は膣出口部を外科的に拡大することによって分娩時間を短縮し、子どもをより早く母体外に出すことを目的とする。施術側からみた利点は1.創部の修復を容易にし第3度会陰裂傷の防止する、2.産道弛緩の防止、3.分娩第2期の短縮化と周産期障害の減少にある、という1)。医学的適応は胎児および母体を危険から守り安全を確保する目的で、それぞれ規定されているものの統一見解はなく、実際の運用にあたっては、特に初産婦の場合8割は実施される傾向にある2)
 ここで「きりん」のアンケート調査結果をみておこう。回答者総数は先述したように493名、出産総回数は884回である。
 「きりん」の調査対象者は19都道府県に在住する20〜30歳代を中心とする21歳〜51歳までの女性であるが、全国傾向に比べ、助産院での出産者がやや多い傾向にある3)。それにもかかわらず、出産時の会陰切開の有無を問われ493名中400名(81.1%)が切開を受けたと回答しており、先述の割合とほとんどかわらない(この項目に関する「きりん」の調査は、初産と経産のいずれ、もしくは両方を対象にしたものか明記されていないので、厳密な意味での比較ではない)。ではこれらを背景情報として以下コメントをみていこう。

2)会陰切開観を構成する3つの軸
   −−会陰切開合理化認識・会陰切開了解条件・切開と痛みの関連認識

 コメントは全部で221名から寄せられている。コメントの分量はヨコ44字で最小1行、最大22行に及ぶ。これらのコメントを、自分の会陰切開体験のどの局面に言及しているかという点から分類してみた。分析の手順で言えばコメントに頻出する言葉をできるだけ生かす形で複数の小項目を立て、次にそれらに共通する要因を探した。その結果、次の3点が浮上してきた。[1]会陰切開はなぜ必要だと考えるか、[2](会陰切開の必要性というより)なぜそれを受け入れたか−−その了解もしくは納得はどうしておこったか、そして[3]痛み、とりわけ会陰切開によるそれをめぐる経験。もちろん、コメントの性格上この項目に該当しないものも少なからずあるが、議論を整理していくためにこの3点に絞ることにした(その他のコメントは表1注5にいくつか例示しておいた)。
 以下にこれら3項目とこれを構成する小項目、およびこれらに対応するコメント番号を列挙し、コメントの大まかな分布をみてみよう。なお、小項目の末尾の[ ]内の数字はコメント数を表す。

A.〈会陰切開合理化認識〉 会陰切開について、事前のどんな説明理由でそれを必要と認めているか。また自分の出産にとってなぜそれが必要だと考えているか。

表 1 会陰切開合理化認識
  合理化要因 コメント番号
1 裂傷を未然に防ぐ・治りを早める・傷跡をきれいにする [45] 3,8,11,14,21,23,28,37,41,51,54,56,57,
59,60,68,69,71,76,86,92,96,101,103,
104,106,116,120,133,135,137,138,141,
143,157,158,175,178,180,191,200,201,
213,217
2 大部分に行われていることだから・切開は当たり前 [30] 1,5,15,25,26,47,*55,*60,63,64,65,66,
73,74,79,87,88,118,127,155,159,168,
174,179,*180,181,183,189,190,*191
3 子どもの生命を守るため・子どもが大きいため [21] 2,6,*15,50,55,*86,90,93,95,97,100,
107,123,128,140,152,*157,*175,196,
197,*217
4 必要なら仕方ない・場合によっては必要なこと[12] 131,136,149,151,153,164,173,194,198,
202,205,*213
5 医師が判断することだから [10] 36,39,45,81,83,111,132,*133,169,176
6 切開によって楽なお産になる [5] 16,20,43,49,114
7 分娩時間を短くするため [5] 32,84,*104,*181,210
8 会陰の伸展が悪いため [3] *25,*157,177
9 高齢出産だから [1] 12
10 医師の判断にまかせる他ないから [1] 130
11 その他[58] 7,9,10,13,17,18,19,22,24,27,29,30,31,
34,35,42,53,58,62,72,75,*79,80,82,85,
89,91,98,99,105,109,110,115,117,119,
122,124,126,129,139,146,147,148,154,
160,161,163,166,171,172,182,185,*190,
195,204,209,218,221

注1 各コメント番号は原資料にはないが、分析上の便宜のために、筆者がコメント集に配列された順に与えたものである。なおコメント206のみ188と完全に重複していたのでこの表に掲載していない。また、*印は複数のコード化が可能と判断されたコメントを再掲した場合を示す。

注2 合理化要因3は子どもの安全のほかに、母体の安全、子どもの脳への圧迫を防ぐ、自分が小柄だから、といった回答も含んでいる。

注3 合理化要因4は7,8,9,10と一緒にコード化することは可能である。なぜなら7,8,9,10は「必要」の内容を具体的に述べていると解釈すれば、医師が必要だと判断したことであれば、それは仕方ないことだ、という受け止め方に入るからである。これらが選択的に会陰切開の必要を認めるのに対し、2は、会陰切開はほとんど誰にとっても必要なものだ、という認め方である。

注4 合理化要因6と7も親和性が高いといえるが、コメントの言葉を生かす形でここでは分けておいた。

注5 合理化要因にも、またこの後に出てくる〈切開と痛みとの関連認識〉や〈会陰切開了解条件〉のいずれにも直接言及していると判断できないコメントをその他とした。たとえば、切開についての医師の説明はなし(7),第1子出産時の会陰切開のために第二子出産時に伸展が悪いと指摘され後悔したこと(9),麻酔の胎児への危険性への心配(10),切開前の病院看護婦による説明は全く一般的なもので具体的理由がわからない(13),会陰切開しない場合を経験していないので切開の是非についてはわからない(129),何がなんでも会陰保護をすべきだ、という論に対し批判的な見解(209)などがこの例である。


B. 〈会陰切開了解条件〉どのような条件が作用したとき、会陰切開を了解したのか。
 広い意味ではAもまた、医師の説明があったからとか、さまざまな情報を友人や雑誌から得ることが条件となって必要性認識が形成された、という意味では了解条件といえる。しかし、Aが会陰切開を必要とする理由により限定しているのに対し、Bでは説明に基づく同意(informed consent)とか、医師や助産婦らとの相互作用の局面に了解条件を限定し、Aの各合理化要因がどういう条件下で定着したのかについて考えていくことにする。

表2 会陰切開了解条件
  了解条件 コメント番号
1 医師や助産婦との相互作用があり納得している・相互作用がなく納得できなかった [8] *19,48,*101,*127,*138,150,170,
*217
2 十分に説明があればよい・功罪を含めた十分な説明が欲しかった [5] 44,52,*129,*170,220
3 事前の説明が必ずしも十分である必要はない・なくともよい [4] *191,192,216,219
4 会陰切開があることを知らずに受け入れていた [3] 78,145,156

注 小項目3は医師との信頼関係があれば、陣痛のもっとも苦しいときに細かい説明は不要だという意味がある。また陣痛の最中は苦しさから逃れたい一心で、会陰切開をそのまま受け入れる傾向があり、説明や判断を求められても産婦は冷静に対応できないという意味を含む。

C. 〈切開と痛みの関連認識〉
 出産時と/またはその後おきた痛みは、会陰切開をしたために引きおこされたのか。あるいは、会陰切開をしなかったために裂傷卯が引きおこされたのか。この二つの関連をどう認識しているか。

表3 切開と痛みの関連認識
  切開の有無と痛みの関連 コメント番号
1 切開のため、裂傷が起きたり痛みがひどかった [36] *2,4,5,*10,*11,*16,33,40,46,*47,61,
*64,67,70,80,94,102,*106,*116,134,
*136,*138,144,162,165,173,*178,
*180,184,186,193,199,*202,203,211,
212
2 切開がなく、楽なお産ができた [15] 4,38,112,121,*123,125,130,142,167,
*168,*184,188,*189,214,215
3 切開しなかったので、裂傷があり痛かった [5] 108,*123,187,208,*216
注 小項目1のコメント199は同室の入院者の経験について述べたものである。


3)会陰切開合理化要因:会陰切開が必要である理由

 会陰切開に関して、「きりん」のアンケート結果の中から、ここでの分析に関連する数値を引用しておきたい。産む側からの要望としてQ21「あなたは会陰切開はなるべくならしないほうが良いと思いますか。」という問いに対し、76.1%の女性が「はい」と答えている。その一方でQ9「あなたの場合、会陰切開はやむを得ない必然的な理由があってのことだと思いますか。」に対し67.2%の女性が「はい」と答えている。
 この結果を大雑把に読むと、8割の女性は会陰切開を望んではいないものの、それが必要であるなら仕方がない、と考えており、自分の出産について言えば7割が必要な会陰切開であったと受け止めている、と言える。助産婦である小島は勤務していた病院における調査結果から、同様な傾向があることを指摘している。それによると会陰切開を経験した産婦64名中57名が次回は「できれば受けたくないが医療側に任せる」と答えている4)
 ではこの「必然的な理由」とか「必要」とは具体的に何を指しているのだろうか。これが本稿で〈会陰切開合理化要因〉として総称し、表1に掲げた1〜10の各小項目である。これらは医学的に胎児側の適応であるとか母体側の適応である、といったことも言えるかもしれないが、ここでは産む側がどういう理由で会陰切開を受け入れたのかに着目していることから、合理化要因とよんでいる。
 表1によると、コメント数でもっとも多いのが「裂傷を未然に防ぐ・治りを早める・傷跡をきれいにする」である。これは先に引用した会陰切開の利点として医師が第一に挙げていることである。つまり、出産前に医師、助産婦、看護婦といった医療者から受ける説明を産む側の多くは、
「自然に裂けるより切開の方が治りが早い」(92)
と理解している。さらには
「切開をしないと全体にびりびりに破れてしまうこともあるから、きれいに切ってもらって縫ってもらったほうが後々良い」(56)
というコメントに象徴されるように、自然裂傷か会陰切開かという選択の中で、びりびりに破れることに比べれば、という相対的な了解をしていることがわかる。
 しかしこの了解の根拠は医学的なそれであるより、信念に近いのではないだろうか。なぜなら、後で触れる〈痛みと切開との関連〉でみると、切開しなかったために裂傷が引き起こされたとするコメントと、切開したために裂傷が引き起こされたとするコメントがともにありながら、実際の個別の経験は後者に集中しているからだ。
 なぜ会陰切開を受け入れるのか。医学的根拠が出産の専門家である医師を通じて内面化され、裂傷よりは切開の方がよいという信念を生む。そして、この信念は単独で、あるいは以下の要因と一緒になって強化され会陰切開の受け入れを容易にしていくと考えられる。
 それは例示すれば
「大体の所でしているとのことですし当然の事だと思い」(15)

「会陰切開については母親学級の時、必要性や、大部分の初産婦が行っている状況だという説明を受けた」(25)

「(医師の説明に)納得したというより、友人がほとんどそうだったので」(55)
というものである。すなわち、「大部分の人に行われる」という言説が「会陰切開は当たり前」という産む側の〈常識〉の形成に作用する。そして会陰切開の「利点」を強化するわけである。
 言及頻度としては第3に高かった「子どもの生命を守るため」もまた会陰切開を必要なものだったとみなす上で重要な要因としてはたらく。なぜなら子どもの生命の安全、母体の安全という言葉は、産む側には最優先事項として認識されているからである。
 コメントでは次のように表現されている。
「子どもの大きさに対してどうしても切開したのだと自分は思っていました」(196)

「大きな赤ちゃんが出てくるので、余計な切れ目を防ぐため、ある程度はしかたがないのかなと思っていました」(217)

「切開は、母子の安全な状態を保つために当然必要なものだと思い込んでいました。」(128)

 これらのコメントもまた子どもの生命の安全のためなら、自分の体が小柄だったから、子どもが4000gあったので、といった理由を挙げて、子どもや母体を危険にさらすのに比べれば会陰切開ぐらいは仕方ないだろう、このくらいの痛みはやむを得ない、として納得していく。これらのコメントは、表1の合理化要因4〜9で出されている内容と相当程度重なっている。先にも述べたが、まず語られた言葉を生かす形で小項目を立てたわけだが、合理化要因4でいう「必要」が内包する意味は狭義には7〜9を、より広げれば3や1もその範囲に入ることになろう。
 いずれにしても、こうした必要は誰が必要だと認めるのだろうか。第一に必要性を正当に判断できるという役割は医師に与えられており、コメントの中での言及は少ないが助産婦もその役割が期待されている。産む側は、これら医療者がいうところの「必要」を内面化することによって自分に行われた会陰切開を納得していく(コメントの中で医師と助産婦が異なる見解をもち、助産婦の判断で会陰切開に踏み切らなかった事例は一つだけだった)。そのベースとなるのが「大部分に行われている当たり前のこと」という認識であり、ひどい自然裂傷よりはまし、という相対的満足といえるだろう。
 会陰切開、すなわち傷のない身体の損失に対する適応には、このような形で合理化要因が作用し、その適応のために医療者とともに、本・雑誌といったメディア、そして産む女性にとって同世代の友人は重要な橋渡し役となっている。産む女性の母親はごくわずかに、それも会陰切開の恩恵を被らなかった負の体験者として登場するのみである。近隣社会の出産体験をもつ女性に言及したコメントは一つ。母親以外の親族、たとえばキョウダイとかオバは全く言及されない。

4)〈会陰切開了解条件〉と〈切開と痛みの関連認識〉

 会陰切開がそれなりの根拠があって行われたのだ、という合理化要因は以上にみてきた通りであるが、それらを一般論として認識するか、自分にとってそれは必要なものだったのだとして了解し納得するか、あるいは自分にとってそれらが必要とは思えず、切開されたことに対し納得しなかったり強い不満をもつのは、どういう条件が作用したときだろうか。一つは出産の場で、会陰切開に携わった人々との間にどのような相互作用が営まれたか。もう一つは会陰切開によってどのような結果がもたらされたのか、という2点をここでは考えてみよう。この結果について、分娩時間の短縮、裂傷の防止など、表1で挙げた要因が切開の結果としてもたらされたのか否か、という議論を含むことは、本稿の範囲を明らかにこえている。そこで、産む側によってしか把握し得ない痛み、違和感と会陰切開との関連に絞って論じていくことにしたい。
 第一に会陰切開了解条件−−会陰切開をめぐり医療者との間にどのような相互作用が営まれたか、について。表2をみると合理化要因に比べ医療者との相互作用に言及した頻度は圧倒的に少ないが、コメントを読んでいくと会陰切開の評価との関連が小さくないことに気づく。一つは会陰切開前に産む側に説明がなされていたか。それも会陰切開の利点とともに、それによって引き起こされるマイナス面も説明されているか。もう一つは、産後に介助者からどんな配慮を受けたかということ。コメントをいくつかみてみよう。
 「ふまじめな医師ではなかったと思うが、説明の際(本人が求めて聞いた)メリットばかり述べデメリットについては一言も説明がなかった。男なので経験してみないからかもしれないが。私の場合第一子は切開を受け、2子めは切開しなかった。2子目の産後の回復は本当に早かった。」(125)

「初産の時は、会陰切開をしなかったので切れてしまいました。切れ方もひどく、かなりハレて痛かったです。しかし、医師から会陰保護などの話その他、その方のお産に対する思いなど、しっかり両親学級で聞いていたので、・・何も思いませんでした。」(29)

「私の出産した病院は麻酔分娩なので、切開術の痛みも縫合時の痛みもなかったからかもしれないが、あまりこだわりはありません。その後の傷の痛みなどについても、看護婦が一人ひとりていねいにケアしていましたし。また助産婦は分娩時会陰保護を行っていました。キズのつきもよくそれほど苦しみませんでした。」(127)

「一人目出産の時事前に聞かされていないため、出産中激しい痛みを感じ『痛い!』と声を出すと医師らが『痛くても早く産め』と暴言を言われた。初めてのことなのにショックが大きかった。二人目の時以前の切開のところを同じように切開されて痛みが強かった。その時も事前に言われてなかった。」(150)

 会陰切開を受けその後痛みを経験するにしろ、自然裂傷による痛みを経験するにしろ、事前説明により医師の方針を理解しているかどうか、また切開や裂傷の後その痛みの緩和に医療者がどんな関与をするかは痛みの感じ方、切開や裂傷そのものをどう理解するかに影響をもつ。
 相互作用の局面では痛みの理解をめぐる言葉のやりとりや実際の手当は、それが多いほど産む側の会陰切開の了解を深める、ということは言えそうだ。では小項目2と3はどうだろうか。説明をめぐって、説明が十分であるほど会陰切開了解は深められるとは言えないだろうか。典型的なコメントをみてみよう。
「出産の経験のない人に会陰切開の説明をしても、かえってお産に恐怖を感じるのではないかとも思う。実際お産で苦しい時は、早く自分が楽になりたいと思うので、切開のことなどいいとか悪いとか、考えているような問題ではないと思う。」(191)

このコメントにみるように、医療者の説明は必要か否か、ということの他に、その説明はいつ行われるか、ということが会陰切開の了解には大変重要である。
 「きりん」のアンケートによると、事前に自分の会陰切開を知っていたのは2人に1人だったこと、そして自分の出産に関し、会陰切開の説明を医師から受けていた人が43.3%だけだったという結果が出ている。とりわけその説明がいつ行われたかに対する回答は重要である。検診時、陣痛時、切開直前、切開後のうち全体の6割が切開直前であったというのである。切開直前であるからこそ先のコメントにあるように「お産で苦しいときは早く自分が楽になりたいと思うので」それを検討する余裕などもてないのである。大切なのは、事前説明が会陰切開の功罪にわたって、しかも出産に入る前に行われることであり、その上で産む側がそれに対し同意するかどうかをきめるべきことであろう。
 第二の痛みと会陰切開との関連をどうとらえているかについて。コメントをみてみよう。
「私自身は切開による痛みや歩行困難などの影響がほとんどなかったので、切開に対する不満はありません。」(20)

「(切開することについて)なんの説明もなく不安でしたが、幸い回復が早かったので、二回ともつらい記憶がありません。」(35)

「切開後の激痛で、もう二度と子は産みたくないと思った」(10)

「母子ともに切開した方が楽なお産ができるという説明だったので(切開をしたが)・・・第一子の時、縫合の時、痛くて痛くてあばれて、手でおおってしまって手が血だらけになり、縫い合わせはメチャメチャで、抜糸までずーっと痛かったー。」(16)

「会陰切開後肉離れをおこし、さんざんな目に会い、会陰保護に病院側が積極的になるべきだと思います。」(40)

「(切開による痛みは)出産の痛みの続きだと思っていた。人の話と自分が体験したそれとは、全く感じ方が違うと思った。軽く、当然ヨと受け流す人がいたので、そんなものかと思い込んでいたが、切開後の痛みはハギシリしたいほどくやしくつらかった。」(67)

「私は普通になるまで一年以上違和感がありました。・・・二人目は切開せずに産むことができ、切らないとこんなに産後の回復が早くて身体が楽なのかと本当にびっくり。」(102)

「会陰切開では足りなく、それ以上裂けて、その裂けたキズがなかなかくっつかず痛くて。裂けた部分がいまだにうずくことがある(昭和61年出産)。私の産んだ病院では、きれいに切った傷の方が裂けてしまった場合より治りが早いという説明だったと思うのですが、私は一人目出産の時会陰切開部から肛門近くが裂けて、その部分が13日間入院中にくっつかず、出血多量だったせいもあって、ベッドから降りたり、歩いたりすることがとても苦痛だった。」(106)

 最初の二つのコメントは会陰切開による後遺症があるかないかが、それに対する評価と関連することがわかる。その後に引用しているコメントはいずれも〈切開と痛みの関連認識〉小項目1に属するものである。会陰切開が事前説明と異なり、切開後に裂傷を引き起こしたり、縫合時の痛みを伴ったり、出産後何年にもわたり痛みが継続する(コメント中では最長継続年数が7年間)ことが述べられている。表4に「きりん」のアンケート結果を要約し、再掲する。

表4 会陰切開後、痛みや違和感を感じなくなるのに要した期間
期間 人数 割合
1週間未満 15名 3.8%
1週間以上2週間未満 50名 12.5%
2週間以上1ヶ月未満 49名 12.3%
1ヶ月以上3ヶ月未満 100名 25.3%
3ヶ月以上6ヶ月未満 37名 9.2%
6ヶ月以上1年未満 48名 12.0%
1年以上7年以内 27名 6.7%
「忘れた」および未回答 74名 18.5%
回答総数 400名 100.0%


 草加市立病院の山崎らは会陰切開と自然裂傷の比較を、1990年に経膣分娩した初産婦に対し1992年に電話による聞き取り調査を行いその結果を報告している
5)。それによると、障害の持続期間が分娩6日目の退院の後に及ぶ人は、切開群の3割を占める、という。「痛みや違和感」についての「きりん」の調査では1週間以内としたものが14%である。「障害」とするか「痛み、違和感」とするかワーディングによる違いもあるだろうが、回答者によって「痛みや違和感」の答え方にバラツキがあることと、調査の主体による違いもあることが考えられる。それはともかく、山崎らの結果も切開群が自然裂傷群に比べ、排泄障害、性生活を含む日常生活への障害があることを示しており、「きりん」の調査でも産後の育児、家事、性生活への支障があると回答した人は全体の25〜30%に及んでいる。
 コメントでは切開によってどの程度の強い痛みが引き起こされたかについての言及がある。人によっては次の出産を躊躇させるほどの痛みと感じられたりする。にもかかわらず、意外なほどこうした痛みや違和感の経験が会陰切開そのものの必要性を疑うことに結びつかない。
 〈会陰切開合理化要因〉はあくまで会陰切開の必要性認識を維持し、会陰切開による痛みが強くともそれだけでこの認識が否定されることはないのである。しかし産む側が複数の出産を体験したり、会陰切開のない友人の出産体験を自分の体験と比較した場合はどうか。会陰切開による痛みは、会陰切開のない出産という選択肢が現実のものとなってはじめて、意味のある根拠をもつものかどうかが疑われてくる。コメントに表れる限りの女性たちの会陰切開観は、「できるなら切開しないで欲しいが、必要なら仕方がない」というのがもっとも支配的である。この切開観は相当程度の痛みをもってしても揺らぐことはないといっていいだろう。
 表3にもどって小項目をみると、1と2は会陰切開は痛みや支障をもたらすものという認識という意味では同類項であるが、3はまったくこの正反対である。言及頻度としては1と2の合計の1割だが、コメントの内容は質的に全く異なった意味をもつ。それは先に、相当程度の痛みでも会陰切開の合理化要因が疑問視されることはない、と述べたが、小項目3は切開をしなかったために起こった(と考えられているのだが)裂傷は、表1の合理化要因1「裂傷を未然に防ぐ」にしたがって切開の合理化を強化する可能性があるということである。
「(普通の状態になるまで)1回目の切開しないときより(切開した2回目の方が)格段に早かった。何がなんでも『会陰保護』するのではなく、その必要性も認めたほうがよい。無理な『会陰保護』は、その後痛みが長引くこともあると思う。」(187)

5. 結び

 会陰切開を身体の一部の切除として、したがって傷のない身体の損失と置き換えたとき、産む女性はその損失にどのように適応していくのか、という問題設定のもとに、「きりん」によるアンケート調査や他の文献資料を参考に、コメント集に若干の分析を試みた。
 E.ゴッフマンは「損失への適応に目を向けることが〈関わり〉と、そこに関与する〈諸個人〉との間における諸関係の理解へと導いてくれる」と述べている6)
会陰切開に対する産む側の認識をコメントを通してみる限り、全体としてこの損失に対して、受容度もしくは適応度はかなり高いといえるのではないか。それは、自然裂傷に対する恐れ、嫌悪が「切開しないともっとひどくなる」という形で極めて広範に共有され、会陰切開にたいする相対的満足を与えていること。また、これを誰もがすることという言説によって、会陰切開は当然という思いこみが形成され強化されていること。そして子どもの生命と母体の安全のためならやむを得ない、そのための医療介入は受け入れるべきだ、という信念もまた合理化の維持に機能している。
 会陰切開の合理化要因は以上のような形で強化され、施術の受け入れを用意するわけであるが、このときに重要な適応のための橋渡し(agent)となるのが友人であり、雑誌・本である。本来なら一番相談すべき対象である、産院の医師や助産婦ではない。専門家がこうした相談の対象ではなく、同世代の友人たちの経験談や、情報としては一方通行の雑誌・本が重要な判断基準になるということは、今後の出産の動向や女性たちの出産観を考える上で重要な検討課題である。
 会陰切開については、さまざまな要因から産む側も実に多様なとらえ方をしている。一般化してある程度言えることは、医療者側にとって「言うまでもない」というルーティン化した処置であっても、受ける側にとっては納得することの必要な、したがって事前の説明と了解を必要とする出来事である、ということだ。そして産む側について反省的にいえば、大部分の人に行われることを合理化の根拠とすることにより、あまりに安易に自らの身体の切開を受け入れていることにコメント集は気づかせてくれる。コメント集には会陰切開を含む8項目にわたる女性たちが綴った考えや思いが収録されている。本稿でまとめた会陰切開観を足がかりとし、また現時点でのわたしの関心から、次の段階として「分娩台」と「陣痛促進剤について」のコメントを継続して分析したいと考えている7)
 最後になりましたが、快く報告集、コメント集その他の資料をお送り下さった自然なお産を考える会「きりん」の皆様に感謝するとともに、バイタリティあふれる貴重な調査を行われ報告書をまとめられた熱意とご努力に深く敬意を表します。



《注》

1) 千村哲朗「会陰切開;その歴史と概観」『助産婦雑誌』Vol.44, No.9, 1990年。

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2) 福島によると、会陰切開の実施頻度は初産に関してみると80%以上に実施されている。福島安義「会陰切開;私の方針」『助産婦雑誌』Vol.44, No.9, 1990年。

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3) 出産の場所に関する「きりん」の調査結果は、複数回答としながら回答総数が回答者数を下回り不備と判断されるので、厳密な比較は避けた。「きりん」の結果は次のようになっている。

個人病院 298(63.9%)
総合病院など 94(20.1%)
大学病院 59(12.6%)
助産院 16( 3.4%)
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4) 小島泰代「産婦とスタッフの納得のいく会陰切開」『助産婦雑誌』Vol.44,No.9, 1990年。

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5) 山崎いつ子他「会陰切開をしない出産のために」『助産婦雑誌』Vol.48, No.2,1994年。

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6) E. Goffman, "On Cooling the Mark Out" Psychiatry, 15,1952, pp.451-63.

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7) 大出春江「”計画分娩”について考える」『助産婦雑誌』Vol.48, No.6,1994年。

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