新渡戸の洋食を食べる会


新渡戸が食した夕食「思い出のメニュー 新渡戸博士と共に」

公会堂の入り口 新渡戸稲造先生が最後に盛岡市を訪れたのは、1933(昭和8)年5月16日で、岩手県産業組合青年連盟の総裁就任式に臨み、その夜の歓迎夕食会のメニューが保存されています。
この夕食会を記念して2005(平成17)年から毎年5月16日に夕食会が行われ、今年 は
ユニオン・イズ・パワー 「思い出のメニュー 新渡戸博士と共に」
という名称で開催されました。
私は、今年初めて参加しました。

場所は岩手県公会堂の2階21号室。当時は建物の半分がレストラン「公会堂多賀」で、この部屋は今は会議室ですが、当時は大食堂でした。

その後、公会堂部分が広がり、今は地下室に「公会堂多賀」があります。(ここでは、2回ほど食事をしたことがあります。)
それで、会議室にカーテンなどの装飾を付け、地下室から料理を運んでの夕食会でした。

メニューは次のとおりです。

ブイヤベーズ マルセレーズ


ふつうは、はじめにオートーブルが出されますが、大正から昭和にかけて日本とヨーロッパを結ぶ客船はフランスのマルセーユに立ち寄ったそうで、たぶんその影響で新渡戸先生にはオードーブルに代えてブイヤベーズが出されたのだろうと、公会堂多賀の社長が説明がありました。
出席者は26人で、盛岡市にある新渡戸基金や、新渡戸稲造会の関係者が多く出席し、新渡戸先生を偲ぶ話が続きました。
2007.05.16. 森本晴生


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