新渡戸稲造書簡


徳富蘇峰記念館に新渡戸稲造書簡が3件あります

Photo  神奈川県の二宮町に「徳富蘇峰記念館」があります。徳富蘇峰(本名・猪一郎、号・蘇峰。1863〜1957)は、明治から昭和にかけて活躍した歴史家、ジャーナリストです。民友社を設立し、『国民之友』などを創刊しました。1942年には文化勲章を受けました。
 この記念館は、蘇峰の晩年の秘書である塩崎彦市によって1969年に塩崎邸内に建てられました。3階建てで、1階と2階が展示室になっています。開館日は、月曜日、水曜日、金曜日です。邸内に梅の木があり、梅の季節(2月)には梅見の客もあるそうで、この時期には土曜日と日曜日も開館しているそうです。

クリックすると大きくなります  ここに、新渡戸稲造の書簡があるという話を聞いて訪問しました。
 まず見せていただいたのは、明治29年に東京市京橋区にあった民友社の深井英五あてに出された巻紙の書簡で、徳富蘆花と深井英五が渡米するにあたり、札幌農学校の新渡戸稲造から新渡戸の知人6人を紹介したものです。この手紙は毛筆で書かれた候文ですが、アメリカの住所と氏名は英文になっています。その中にはメリー夫人の叔父も含まれ、訪問すれば種々の人に紹介してくれるだろうと書かれています。このあと、徳富蘇峰と深井英五は1年2か月かけて欧米を漫遊しました。

Photo  次は、スイス・ジュネーブの国際連盟の新渡戸稲造から徳富猪一郎あてに出された、印刷された年賀状(大正10年元旦)です。ジュネーブの1920年12月の消印で、封筒の上書きは新渡戸稲造がペンで書いています。今と同じように、12月のうちに翌年の年賀状を出したもののようです。

 三番目は、徳富蘇峰あてに新渡戸がペンで書いた川崎萬蔵の紹介状で、川崎萬蔵氏持参と封筒に書かれています。月日は書かれていますが、年が書かれていないので、何年のものかは分かりません。これとは別に川崎萬蔵から徳富蘇峰あての年賀状が数通あったので、新渡戸の紹介のあと、交際が長く続いたようです。

 昭和20年特別展示『幕末・維新展』(2008年1月7日〜11月28日)が行われていた ので、これも見せていただきました。

(2008年4月、森本晴生)

徳富蘇峰記念館
神奈川県中郡二宮町二宮605
TEL: 0463-71-0266
FAX: 0463-71-0677


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